ヒューマンデザインの知識が危険な理由
- yu-hu-an
- 2017年11月18日
- 読了時間: 3分
こんにちは。ヒューマンデザイン アナリストの諸星和子です。
多くの人は、自分はこれでいいんだろうか、人生これでいいんだろうかと悩むので、「それでいい」と言ってくれる何かを探したりしますよね。それは人間関係だったり、場合によっては占いだったりもします。「あなたはそれでいい」と言ってくれる人との人間関係は心地いいですもんね。
ヒューマンデザインシステムのチャートを、こうして採点表のように使ってしまうケースが時にあります。自分の、もしくは誰かのチャートはこうなっているからこれでいい、ここはこうだからこれはダメとかの判断材料に使うということです。
私は、チャートをこのように使うのは間違っていると思います。
ヒューマンデザインシステムのチャートは、情報の分類にはとても有効で頼りになるものだと思いますが(だからこそ何年も勉強しています)、何かの行動が正しい/正しくないの判断はチャートを見てもできません。その判断は、本人の身体感覚から得るものであって、チャートから得るものではないのです。
チャートを見て、これは正しい/正しくないという判断を始めると、チャートと自分(もしくは誰か)を比較した結果が行動基準になってしまい、あっという間にがんじがらめになります。それでも、そうすることが自分にとって正しいことだと思ってしまいます。だって、ヒューマンデザインシステムの知識に「従って」いるのですからね。ここまで来るとホント重症です。
自分が従うのは「自分の内なるナビゲーション」だけです。そして他の人にも、それぞれの「内なるナビゲーション」があります。それが人生を導き、その瞬間その瞬間に正しく存在しているのかどうかを「身体感覚」で教えてくれます。自分が自分の内なるナビゲーションを尊重し、誰かの内なるナビゲーションを尊重することを練習することが、ヒューマンデザインシステムの実践です。
繰り返しますが、ヒューマンデザインシステムを実践するとは、チャートを詳細に分析し、その結果をもとに行動を決めることではないのです。「あなたはチャートのこの部分がこうだからこうした方がいい」というのは、基本的にはないと思います(まだ待った方いい、その瞬間の直観を大事にした方がいいなどの、行動の指針と内なるナビゲーションの実践に関係したことは当然重要ですが)。自分の行動は、行動の指針と内なるナビゲーションの実践からくるものであって、チャート分析からではないのです。
これが私が、「実践のないヒューマンデザインシステムの知識は時に危険だ」と前のブログに書いた理由です。そしてこの罠には、実際、多くの人がはまります。海外のヒューマンデザインでもこのような話を聞きます。自分の行動はチャート分析を基準にし、他人の行動をチャート分析で批判し、自分の行動は自分が正しいと思うことに従い、他人の内なるナビゲーションは尊重しない・・・・・そんなヒューマンデザインの、どこに魅力があるのでしょうか。私だったら嫌ですね。
本来ヒューマンデザインの実践は、自分を自由にしてくれるものです。何かとの比較や評価で自分を縛るものではないし、他人を傷つけるものでもありません。お互いヒューマンデザインシステムと、心地よく関わって行きたいですね。
Comentarios