ヒューマンデザインをこよなく愛する諸星和子です。
世の中には、理不尽な人、物事、納得いかない人、物事がたくさんあります。世の中はそういうものに満ちています。
理不尽な理由で文句を言われ、自分の努力を無駄にされ、納得できない理屈を主張され、やり場のない怒りを抱えることが時にあります。
私も数年前までそうでした。ななななんでこんなことで文句言われなきゃいけないの?なんでそんな理屈が通用するの?なんなのこの人、なんなのこの状況、そんな思いを長い時間抱えていました。
ですが、ヒューマンデザインを学んでから、私はだんだんとそれらを受け入れられるようになりました。理不尽だなあ、納得できないなあという思いが消えたわけではありませんが、少なくともそれに振り回されなくなりましたし、まあそれもありかな、と思えることが増えました。
それにはコツがいります。
そのコツとは、
「自分自身の理不尽さを受け入れること」でーす!
やろうと思ったけど気が乗らなかった、理由はないけど今はこれをやりたくなった、昨日はYESだったけど今日はNOになった・・・などなどなど、振り返れば自分にもそういう面がたくさんあるし、むしろヒューマンデザインを学んでからの私は、そういうことに満ちています。
「やらなきゃいけないと分かってはいるんだけどさ~」と、「やるべき」ことを放置することもしばしば。「やるべき」ことを完全に忘れることもしばしば。理屈や論理で決断せず、身体の感覚を優先した場合、それをする、もしくはしない「理由」も見つからず、なんとなくした、もしくはしなかった、ということになりがちです。そこに理由や理屈などないのです。
さらにヒューマンデザインを通じて、それぞれの人の視点やマインドの機能を学ぶと、それがどれだけ多種多様かを理解することができ、「この人と私は見ているものも考え方も全く違うのだ」ということが分かります。
そうすると、自分のように物事を見ない、考えない人に対しての不満などなくなります。「ああ、この人とは違うんだったな」という気付きだけです。そもそも違うんだから、「何でこの人はこんな見方をするのか」「何でこの人はこんな考え方をするのか」という疑問もなくなるでしょう。だって、人はそれぞれ違うのです。
また、結局相手から自分を見れば、きっと自分が「なんでそんな見方をするのか」「なんでそんな考え方をするのか」と思われていることでしょう。やっぱりこれはお互い様なのです。
そんな自分自身の「理不尽さ」「不思議さ」ある意味では「わがままさ」を自分が受け入れることが出来れば、周りの人のそれらも、受け入れる余地ができると思うんですよね。
だから逆に言うと、他人の「見方」「考え方」「理不尽さ」「不思議さ」「わがままさ」を批判する人を見ると、その人はきっと、自分自身を受け入れてないんだな、と感じます。
それが「良い」でも「悪い」でもない。人にはそれぞれのプロセスがあり、それぞれの経験があります。ただ私の経験で言えば、「自分自身を受け入れる」ことを学んだ時、とっても自由になったと感じましたね。
世の中は理不尽で納得できないことに満ちていますが、だからといって、自分が自由に生きられないという訳ではありませんよね。
あなたも自分を受け入れる第一歩を歩んでみませんか?