ヒューマンデザインをこよなく愛する諸星和子です。
私が初めて「その人」のチャートを見たとき、ある意味、ヒューマンデザインのチャートに対する私の認識が変わりました。
「その人」の思考や行動をチャートを使って分析して理解することは出来ますが、先にチャートを見て「その人」をイメージすることが出来るかと言えば、私にはできないということが分かったからです。
私はそのチャートを見たときこう感じました。「こんなに素敵な個性をたくさん持っているのに、どうしてこんなことになっちゃったんだろう。もっと違う人生もあっただろうに、なぜこんなふうに生きたんだろう」と。
まあ、その辺を分析するのがアナリストの仕事なんですけどね・・・
一つ一つのチャネルやゲートの意味を見ていけば、なるほど「その人」は自分の本質を生きていたかも知れません。それぞれのチャネルやゲートのキーノートと照らし合わせると、どれも理屈に合うかもしれません。
でもそれらは、違う発揮の仕方もあったはずなのです。あんなんじゃなくても。
そういう個性の、自分にとっての正しい発揮の仕方を導いてくれるのが、ヒューマンデザインではストラテジーと権威と言われるものです。いつどこでその個性を使うのかをストラテジーで知り、それが自分にとって正しいかどうかを内なる権威で感知します。
それがないと、あんなふうに「個性の暴走」になりかねないのです。持っている本質そのものは発揮しているかもしれないけど、正しくない場所で正しくないタイミングで使っているということです。
その人の個性が正しく発揮されていたのか、単なる個性の暴走だったのかは、私には分かりません。はた目にどう見えようとも、その人が人生の中で何を感じていたかによるからです。でも、どうも、その人特有のサインである、満足を感じていたようには見えないですけどね。
もし「その人」の人生が不満に満ちたものだったとしたら、それは、個性を正しく発揮していなかったことを意味します。だとしたら、その個性はもっと違う形での発揮の仕方があったと考えられます。そうしたらもっと満足を感じられる人生を送ることが出来たかもしれないのに・・・・。
「その人」のチャートを見るたびに思います。どうしてあんな生き方をしてきたんだろうか?どんな風に個性を発揮したら満足する人生を送ることが出来たんだろうか?どんな可能性がこの人にあったんだろうか?この人が本当に満足する生き方ができたら、どれだけ世界が違ったんだろうか?などなどなど。
時代に大きな爪痕を残した人でしたね。
それも今日で、ある意味、終わりましたけど・・・。