ヒューマンデザインをこよなく愛する諸星和子です。
先日ヒューマンデザイン仲間とスカイプで話していて、つくづく感じたことがありました。とにかく「独自の視点」しかないんだなと。
ヒューマンデザインを学んでいる人はたくさんいます(たぶん)。リーディング出来る人も、リビング・ユア・デザイン講座を開催している人もたくさんいます(たぶん)。ですから知識を伝えるだけなら、ある意味、誰でもいいわけです。というか知識だけなら、本でも買っちゃえばいいんじゃないの?ということになります(ヒューマンデザインに関して日本語になっている本は一冊しかありませんが、私は特にお勧めしておりません)。
そこで何が必要かというと、それぞれの人の独自の視点、表現、経験などですよね。学んだことをただ伝えるだけなら、特に差はないかも知れませんが、どこに差があるかというと、それを伝えるのが「その人である」ということです。そこしかないですよね。
思えば、以前受講していたDD(Differentiation Degree=PHSとレイヴ心理学が合体した2年間のコース)では、受講生の中に何人も、IHDS(国際ヒューマンデザインスクール)のティーチャークラスの人がいました。創始者ラー・ウル・フー本人から学んだという人も何人もいました。それだけ古くからヒューマンデザインを学び、実践してきた人たちであるということです。
そんな中に、英語もろくにできず、学びも経験も浅く、新参者の私が飛び込んでしまい、肩を並べられる要素など何一つなかったのですが、それでも私がやってこれたのは、他の何者でもない「私の学びと経験のプロセス」と「そこからくる私自身の視点」を先生とクラスメートが尊重してくれたからに他なりません。別に勝負しているわけではないのですが、結果的に私はそこで、「自分が自分らしくあること」でしか勝負できなかったのです。
今でもあの頃の緊張感を思い出すことがあります。背伸びせず、無理せず、でも萎縮せず、遠慮せず、ただその瞬間に自分が自分であること。簡単なようでいて、なかなか難しいことでもありました。
ですから、いま世の中にヒューマンデザインをやっている人がたくさんいても、何より大事なことは、私が私であることと、私自身の独自の視点と経験でヒューマンデザインをお伝えしていくことしかないという思いを新たにしています。
そして、やっぱり私はヒューマンデザインが好きですね。ガンバロ。