ヒューマンデザインをこよなく愛する諸星和子です。
ヒューマンデザインのチャートの色が付いた部分である「その人独自の個性」と言われる定義付けやチャネルを見ているとき、その「狭さ」を必ず心にとめるようにしています。
色が付いた部分はチャートの中でも目立つし、なんだか幅広い強固な強みを持っているような印象を受けますが、これが実は本当に細い、数字で言うと1/1080の個性だとイメージできるでしょうか。
ざっくりいうと、1メートルの中の1ミリという狭さです。
この「自分が持って生まれた個性」だけに注目して、それだけを活かそうとして生きるということは、狭い狭い綱渡りをしようとしているようにしか、私には見えないのです。
人間は持って生まれた個性も機能もありますが、それだけでは生きていけません。ヒューマンデザインに関係なく、人は必ず外部から栄養(食事)を取り入れて、自分の機能を活かして消化し、自分の一部にしていきます。マインドの栄養である知識も、外部から取り入れて学び、自分の一部にしています。
一説によると、自分が持っている遺伝子のうち実際に使われているのは5%程度であり、残りは休眠していると言われていますが、それもヒューマンデザインの観点から深く納得できます。
自分の持って生まれた個性を知り、それを活かし、個性的に生きることが素晴らしいことであることは間違いありませんが、個性を活かそうとするがゆえに、それに沿わないことを拒否、否定するのは、どこまでも続く大きな広い草原の中で、人間一人が通れるかどうかの狭い道しか歩まないようなものではないでしょうか。
「ヒューマンデザインは人を自由にするもの」と、創始者ラー・ウル・フーは語っています。そして私もそれを実感しています。
人生というどこまでも続く大きな草原の中で思いっきり実験、体験する中で、軸として戻る部分、頼る部分、指針にする部分が自分の個性であればいいんですよね。軸をちゃんと知っているからこそ、より自由になれるものなのだと思います。
ヒューマンデザインを通じて自分の個性を知ることが、誰かの人生を狭めて綱渡りさせるようなことにならないよう、切に願っておりますし、私自身、そのような捉え方をされないよう、注意してお伝えしていきたいと改めて感じています。
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