こんにちは。ヒューマンデザイン アナリストの諸星和子です。
ヒューマンデザインシステムは「違いの科学」と言われています。それに関してもう少し突っ込んでいきたいと思います。
ヒューマンデザインを学び始めたころの私にとって、この「違いを理解する」ということがとても重要な意味を持っていました。人は誰もが違うことは、言われるまでもなく分かっているのですが、現実の中では、その違いに振り回され、感情をかき乱され、人生を混乱させられたりするものです。
本当に「違いを理解している」のだったら、「分かってくれない」「何度言っても伝わらない」「やってほしいことをやってくれない」などという悩みはないはずです。でも、現実的にはこういう悩みが人生の大部分を支配しているわけです。私自身もそうでした。
それが通りすがりの人だったらその場限りの関係で終わりですが、家族やパートナーともなると、そうもいきません。「この人はなんでこうなの」という思いを毎日毎日抱えて、なんとかしようと頑張るしかない状況に陥ってしまいます。
ヒューマンデザインは「違いの科学」であると聞いて、こういう思いから解放されるのではないかと期待しました。でも、すぐにはそうなりませんでした。
チャートを見れば違いがあることは一目瞭然なのですが、「あの人がこうなのはこれが原因か」「確かにあの人にはこういう部分がある」「本当はこうすべきなのに分かってない」と、なぜか批判的な気持ちにつながっていってしまったのです。堂々と言い訳しますが、これはヒューマンデザインを学び始めた人の多くが陥る罠です。私も当時はヒューマンデザインの情報の活かし方が分かってなかったのです。
でもですね、私はそこに違和感を持っていました。「違いの科学」でありながら、あの人はああだこうだと違いを指摘し、時に批判するのは何かがおかしい。それがヒューマンデザインではないはずだ、一人一人の違いを本当に尊重することを学ぶはずのものなのに、ヒューマンデザインの情報が正解で、相手が間違っているかのように見るのは何かがおかしい、と。
もしそれがヒューマンデザインの本質なら、私はヒューマンデザインを学ぶのをやめてしまおうと思っていたころ、IHDS(国際ヒューマンデザインスクール)で学び始めました。そして、視点の転換を経験しました。
「違いを尊重する」とはそういうことか、一人一人の違いをそうして受け止めていけばいいのか、と理解できました。そうして、少しづつ理解が深まっていくにつれ、私の環境も人間関係も変わっていきました。私が相手との違いを理解し尊重できるようになってから、それまでと同じ人なのに気持ちが変わり、付き合い方が変わり、お互いがより楽に心地よく交流できるようになってきました。
ちなみに相手がヒューマンデザインを実践していなくても変わりました。私の日常生活の中で、身の回りにヒューマンデザインを実践している人は一人もいませんからね~。それでも、ここ数年は本当に心地よく生活できるようになりました。
じゃあ、違いを尊重するとはどういうことか。ここでご説明したいことろですが、うまくお伝えできる自信がないので、とりあえず今回はここで締めたいと思います。
自分を知る最初の一歩を踏み出してみませんか?