決断したくない
ヒューマンデザインといえば
どうやって自分自身の本質で決断するか
それを学ぶものであることは
疑問の余地がないのですが
それがどういう意味を持つかと言えば
かなり深いと私は感じます
色々と見たり 聞いたり 考えたりして つくづく
人は自分で決断したくないもの
なんだなと感じます
自分で決断した結果は 自分の責任
自分の考えを言った結果 否定されたり
自分の判断で行動した結果 失敗したり
自分で決断した結果 期待と違う結果になる
そんなことになるよりは
他人から言われたようにやるのが楽だし
何かあっても仕方ないと思えるし
自分にその行動をさせた相手を
「許す」ことさえできる
とんでもないカオスを感じます
人はそうして生きている
それは否定のしようもない現実の一部です
そこに なぜヒューマンデザインがあるのか
その意義を よくよくかみしめたいと思います
私は ヒューマンデザインに
日々感謝していますが
だからといって
全世界全員に 必要なものだとも思いません
これから どれだけの人が
ヒューマンデザインと出会っていくのか
どんな人との ご縁が生まれていくのか
なりゆきを 静かに
見守っていきたいと思います