ヒューマンデザインをこよなく愛する諸星和子です。
”Dying, Death and Bardo”という言葉は聞いたことあるでしょうか。ヒューマンデザインの、コスモロジー講座の一部です。https://www.ihdschool.com/self-study/32/rave-cosmology-iii-dying-death-and-bardo
Jovian Archiveには、もう少しお手頃価格なレクチャーもあります。https://www.jovianarchive.com/Products/346/Death_and_Bardo
私が初めてこの講座のことを知ったのはDifferentiation Degree(DD)で、「正しい死のプロセス」についての簡単な説明を聞いたときでした。ヒューマンデザインには「正しい死」などという考え方があるのかと、本当にびっくりしたことを覚えています。
ラーは、「S&A(ストラテジーと権威)に従って正しく生きたとしても、正しく死ななければ意味がない」と言っていたくらいです。それほど、ヒューマンデザインにとって正しい死のプロセスを経験することは重要なのです。
さて、ここから少しリアルな話になります。私自身が、この講座の内容をどのように体験したかを、簡単にうわべだけですが、シェアしたいと思います。「死」に関してデリケートな方は、今回の記事は読まずにスルーしてくださいませ。よろしくお願いいたします。
*
*
*
*
*
*
*
*
*
大丈夫でしょうか。続けますね。
詳細はここには書けませんが、ざっくりいうと、人の身体の終わりに月のトランジットが関係していることと、死後の身体の扱い方をこの講座では学びます。言葉を変えると、月のトランジットは身体の死に関係しており、死後の身体の扱い方は、魂の行き先に関係しているといえます。私も2017年1月にIHDSで学んでいます。
幸か不幸か、講座受講から半年後の7月に、私の兄の病気が発覚しました。病状を聞いた時点で、「これはいつどうなってもおかしくないな」と思える状態でした。ですから私は、ひそかに月のトランジットを観察していました。
詳細は省略して、約1年後の今年の8月、いよいよ病状が悪化してきたことと、兄の誕生日が近かったことと、月のトランジットが気になるタイミングだったことから、実家に帰省し、数日を一緒に過ごして様子をみました。兄の誕生日には一緒にケーキを食べることもでき、家族で花火などやって、せめてものお祝いが出来ました。
それから、今は様子見で大丈夫そうだな、すぐに何かが起こる可能性は少ないかもなと思って東京に戻ったのですが、私が「もしこの日にこういう変化があったら、月のトランジット的に、カウントダウンが始まっていると判断できるだろう」と考えていた日に、まさにそういう変化が現れてしまいました。これはもしかしたら本当にまずいかもと思い、いくつかの予定をずらし、いくつかの予定をキャンセルし、また実家に帰りました。カウントダウンが始まっているとしたら、この日までが限界だなという日の、3日前の夜に帰省しました。
翌日病院にお見舞いすると、ほんの2週間前には一緒に散歩し、ケーキを食べて花火もした兄が、もう話すことも出来ない状態になっていて、深刻さを目の当たりにしました。月のタイミングで言えば限界2日前です。
その日は別の兄と一緒に病院に宿泊し、いざという時に対応できる準備をしていました。そして翌朝、兄は旅立ちました。月のタイミングで言えば、まさに限界の前日でした。私はトランジットを見ていて心の準備をしていたとはいえ、やはりあまりのことにショックでしたが、ひとまず、身体を見送ることはできました。
それから、”Dying, Death and Bardo”のもう一つの要は、死後の身体の扱い方です。死後〇〇時間の身体の状態です。それは必ずしも簡単なことではないのですが、私は事前に実家に話して多少の理解を得ていました。
それでも理想的な状態にすることはできませんでした。○○時間をキープすることは出来ませんでした。なので、その中で最大限、必要な身体の状態を出来る限り保てるよう努力しました。限界まで兄の身体に触れ、「帰るべきところに帰るんだよ」と語りかけ続けました。
それからどうなったかは、結局のところ分かりません。兄の魂を正しく見送ることができたのかどうか、今でも分かりませんが・・・。
それでも、この”Dying, Death and Bardo”の情報を知っていて、本当に良かったと心から思えました。兄の変化を比較的冷静に受け止めることが出来ましたし、多くの人が知らないであろう魂の見送り方を、完全ではないにせよ実践することが出来ました。
また、この情報を知らなかったらおそらく、慌てて帰省することもなかったかも知れません。月のトランジットを見ていたからこそ、危機感をもって、帰省を早めたと言えます。事実、東京に住むもう一人の兄は、連休に合わせて帰省の予定を立てており、間に合わなかったと残念がっていました(お通夜と葬儀には完璧なタイミングでした)。
それでも、「これで良かったんだろうか」という自問自答は止まることがありませんが、そのジレンマもまるごと受け止めるしかありません。一生かけても消化しきれないくらいの経験をさせてくれた兄には、感謝しかありません。兄ちゃん、ありがとうね。あちらの世界から、色々教えてね。